日本医学トレーナー協会 Trainer Journal
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舩木聖士さんがトレーナーを目指す理由

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苦悩の中での出会い、そして驚き

「今はとにかく覚えることが一杯で…。自分がどのあたりまできているのかもよくわからないし、ホント、まだまだこれからです」
 細い目をさらに細めて小さく笑った舩木聖士さん。2005年4月からトレーナーを目指し関西メディカルスポーツ学院西宮校へ通っている。平日は週3回、夜の7時半から約3時間スポーツトレーナー科の授業を受け、野球トレーナー科の授業が入る土曜日は昼過ぎから夜の9時過ぎまでビッシリと授業。そこから夜を通して働く毎日だ。
 1995年に社会人野球のNKKからドラフト1位で阪神へ入団。いきなり開幕カードの巨人戦に先発し、1対2で敗れたものの真っ向から投げ下ろす148キロ計測のストレートに虎党の多くは「次期エース」の誕生を予感したものだった。
 ところが―。9年間のプロ生活は思うようには進まなかった。通算9勝のうち6勝は1年目に挙げたもの。思うようにならなかった要因はいくつも浮かぶが、何より悔やまれるのは常にコンディションの不安を抱えながらの選手生活だったこと。後年、右ヒジにメスを入れたこともあったが、一番悩まされ続けたのは足の肉離れ。騙し騙しやっていた2000年のシーズン中、痛みで2ヶ月間何もできない時期があった。そこで藁をもつかむ思いで、人づてに聞いた関西メディカルスポーツ学院の摩季れい子学長を訪ねた。
「それが来てみたら1日で走れるようになったんです。まあ、ビックリしましたよ。えっ、なんで?何をやったの?って感じで」

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「僕みたいな選手の力になりたい」

 以降、舩木さんと同学院とのつながりは続き、翌年にはファームで最優秀救援投手賞を獲得。150キロ近いボールも戻り「上でも十分やれる状態」だった。
しかし、いくら結果を残しても首脳陣の目は年々新しい選手へと移り、やがて2003年に阪神を自由契約となりテスト入団でロッテへ。だが、層の厚い投手陣の中で十分な出番に恵まれず、一昨年オフに多くの選手がそうであるように「やり残し」を感じながらユニフォームを脱いだ。
 現役時代にも、ふとした時「第2の人生」について考えることがあった。父親がラーメン店を開いたこともあり「旨いラーメンを作ってみたい」という気持ちもあった。しかし、実際にユニフォームを脱いでみると「やっぱり野球から離れられない」との思いが募り、そこへ浮かんできたのがトレーナーへの道。
「なぜトレーナーかって言われたら、一番は僕みたいな選手の少しでも助けになりたいと思ったから。それも高校生とか、中学生の早い段階での力になりたい。僕の足も結局は高校時代にやった肉離れがずっとついて回った。それまでは、ほとんど怪我なんかしたことなかったのに、たった1回の故障にずっと苦しめられた…」
 当時は「痛い」なんて口にしたら怒鳴られる時代。自分でテーピングをまいて、足を引きずりながら走り、投げ続けた。その結果、肉離れがクセになった。
「社会人へ進んでも、プロへ行っても疲れがたまると切れる…。今年こそやるぞ、って思った時に限ってブチッですからね」
 常につきまとう下半身への不安によって、十分な走り込み、投げ込みができず、ピッチングにも響いてきた。<あの時、休んでいたら…><正しい処置をしていたら…>20年近くが過ぎた今も拭い去れない後悔がある。だから―。「僕のような思いをしてほしくない」。

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「何故」に答えられるトレーナーへ

 4月からは新たな楽しみも待っている。今シーズンから同学院が立ち上げた野球選手科のクラブチームへ、コーチとしての参加が決定。体の使い方、仕組みを学びながら現役の選手の指導にも関わる。トレーナーとして“学ぶ”には願ってもない環境に身をおくというわけだ。
「プロのコーチでも『ヒジが下がってる』『腕が振れてない』とは言うけど、じゃあ、どうしてそうなるのかって説明できる人は、ほとんどいなかった。どこかが悪くてそうなっているのか。体の使い方がわからなくてそうなっているのか…。でも、本当に選手が知りたいのはそこなんですよね」
 トレーナーはトレーナー、コーチはコーチではなく、コンディション、野球技術の両面からアプローチでき、選手の「何故」に答えられる存在へ。目指すは「摩季先生のようなトレーナー」だ。そのために、もう1つ身につけなければならないことがあるという。
「いかにその選手の気持ちを前へ向けられるか。これもトレーナーとしての大きな仕事。摩季先生はその点も上手いんですよね。僕が現役時代に初めて訪ねた時も、こっちが深刻な顔をしてるのに『こんなん大丈夫よ!すぐ投げれるから!』って感じでしたから(笑)でも、そういう風に言ってもらうだけでも選手の気持ちは明るくなるものなんですよ」
 そんな部分も含め「ホント、まだまだこれからです」。最後にまたそう言って一段と目を細くした舩木さん。それでも、苦しんだ分だけわかったことがある。伝えられることもある。「あの時があったからこそ…」そんな風に思える日もそう遠くはなさそうだ。

文:谷上史朗

舩木聖士さんは、現在、関西メディカルスポーツ学院硬式野球部およびベースボールジムで、コーチ兼トレーナーとして活躍中です。

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