日本医学トレーナー協会 Trainer Journal
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第1回 八太 一郎さん

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後悔しない為の決断 「迷わず、進もう」

 学生時代にラグビーで故障した際、自身が医療機関でリハビリを受けた経験から、その重要性とトレーナーの仕事に強い関心を持つようになったという八太さん。安定したコンビニ経営をしながらもその思いは深まるばかりで、フランチャイズ契約更新時を区切りとし、アントニオ猪木氏の「迷わず行けよ」の言葉にも励まされ、勇気を持って夢に向かい、一歩を踏み出すことを決意した。

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目に見えない体の中の組織を相手とする仕事。
考察力と感性を大切に

 八太さんが就学したのは30歳になる2002年春、関西メディカルスポーツ学院の整体療法士科。学長の摩季れい子先生と直接話す事ができ、コース選択などの具体的なアドバイスから、妻子のいる環境などプライベート面でも親身な相談ができたという。  総合整体療法とゴルフトレーナー科のカリキュラムを学ぶ中で「トレーナーの勉強にゴールは無い」「目に見えない組織が相手、考察力(知識)と手に感じ取る感性を大切に」など整体療法士・トレーナーとしての意識面も磨かれていった。「今も日常生活の中で、自然の匂いや音、又は四季の移り変わりなど、子供と犬の散歩をする時などでも意識するようにしています。」

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内定先の先生が急逝。大きな壁を前にした一大決心

 整体療法士の道を選んだ時から目標だった「開業」。しかしそれは、学校で学んだ事を基盤に医療機関に勤め、じっくり知識と経験を蓄えてからと考えていた。整形外科への内定も決まりその道も順調と思われた矢先、内定先の先生が突然亡くなられ、それにより彼の道も途絶えてしまった。守るべき家族がいる八太さんは、誰にも負けない位に勉強してきたがやはりキャリアとしては不完全な自分を思い、スポーツメーカーへの就職を考えるなど、窮地の中真剣に悩んだ。 そんな時、彼を支え後押ししてくれたのが恩師だった。「キャリアを積んだ私も未だに勉強している。クライアントに教えることで自分も教えられる。最初から完全を目指していたらいつまでも前に進めないよ。」その一言が八太さんに大きな勇気を生み、当初からの目的である「開業」に踏み切る決意をさせた。

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「踏み出せばその一歩が道となる」

 ひとたび決断すれば、一歩一歩努力を惜しまず歩んでいく八太さん。開業に至るまでのパンフレット制作等は何度も母校の先生方に添削してもらい完成させた。スポーツコンディショニング「81(ハチイチ)」の屋号は恩師より贈られた名前だ。 先生方のアドバイスを受けながら、分からない事はそのままにせず着実に進んで行った。 しかし「開業」を選んだ事で、収入面で不安は常について回る。時間をみてアルバイトをする事もある。しかし「開業」した事で時間的融通ができ、地元でラグビーの花園代表校に帯同する機会を得た。自分がケアした選手たちがグランドで戦う姿を見て、まるで自分が戦っているかのような熱い想いを体験する。この道を選び、進んできた事に間違いは無かったと、確信した瞬間だった。

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ゴルフトップジュニアのトレーナーへ。自分への挑戦

「こんなすごい選手のトレーナーをやってみたい」。日本代表強化選手のアマチュアゴルファーとの出会いは八太さんの熱い想いをさらに大きくさせる。自らプレゼンし、専属トレーナーの座を勝ち取った。今まで積み重ねてきた知識と経験が自信へと変わる。しかしトップレベルの選手は練習量も多く、コンディションの変化もめまぐるしい。自分を過信せず、初心を忘れず、専属トレーナーとして選手を常に最高の状態に保つよう、細心の注意を払っている。「常に勉強、常に精進」の八太さんはこの恩師の言葉を忘れたことが無い。

 彼の目標は「クライアントの体だけでなく性格も理解してコンディショニング作りをサポートし、クライアントにとってのベストパートナーとなる事」。また、救急救命士の活動や、東京の柔整協会が行った新潟震災時のボランティア活動にも感銘をうけ、今後トレーナーとして、自分も社会に貢献できる様な活動をしたいと考えている。

 在学中も勉強熱心だった八太さん。今でも三重県からトレーナー協会セミナーに参加するなど学ぶ事への姿勢に余念がない。「一生勉強」という恩師の教えに忠実に、現在も力を積み上げている。


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